四季一筆

徒然に。

卯月二十九日、アナデジアナ

針式のアナログ時計は、一様な連続量とされる時間を“繰り返される連続量”として表現している。一般的には、12時間で短針が一回転、1時間で長針が一回転、1分間で秒針が一回転というやつだ。短針は1時間で30度回転する。針が全て右回りなのは、北半球で太陽が右回りだかららしい。もともとは日時計の影が由来だとか。
 
そのアナログ時計を読めない人が増えているらしい。英国の学校では、読めないアナログ時計は生徒のストレスとなるので撤去するとか。どこまで甘ちゃんなんだか、と脊髄反射するワタシ。
 
◇ ◇
 
アナログ時計世代の私は、たとえデジタル表示の時計を見ても、自然と頭のなかでアナログ時計を想像して、その時刻の文字盤の“表情”を思い浮かべている。だから、いまこの瞬間、世界中がデジタル時計だけになったとしても問題ない。想像のアナログ時計を使えるから。
 
ところで、デジタル時計しか読めない人にとっての時刻の把握は、私のようなアナログ時計人間とは全く違った感覚なのだろう。
 
◇ ◇
 
もしアナログ時計がなくなったとしたら、それ以降の人類が抱く時間の概念や感覚は“歴史年表”に近づくのかもしれない。遥かのむかしから現在に伸びている数直線のようなもので、そこにポツ、ポツ、と年号が書き込まれているような。
 
ある時刻からある時刻までの長さを、アナログ時計では針の角度の変化や何回転したかのように捉えているところを、デジタル時計世界では“距離”として捉えるのだろうか。
 
◇ ◇
 
時計の針の角度と文字盤の“表情”とは、その時の時刻と関係しているような気がする。
 
たとえば午前10時10分には、その針の角度と文字盤に当たる光の具合が、早朝の清々しさがそろそろ緩んできて塵の微粒子が大気に舞い始めているような感触を想起させる。午後4時の文字盤は、一日の終わりが近づいてきたアンニュイな雰囲気を帯びているとか、ワタクシ的にはそういう結びつき感覚なのだが、デジタル表示になるとそのような感覚が通用しなくなるのだろうか。
 
◇ ◇
 
時間の流れは川の流れに例えられたりするが、その一様に流れている量を、一日24時間、12時間で一回転のような数値で計測可能な状態にして、かつそれを感覚的にわかりやすくしたというアナログ時計的な発明は、実はズルズルとつながって流れている時間に印としての楔を打ちこむ一種のデジタル的発明だったのではないか。回転する時計の針は、時の流れを遡行するスクリューとして人の頭のなかで機能しているのではないか。
 
アナログ時計というデジタル装置がなくなったとき、人の前には相変わらずズルズルとつながって流れている時間が立ち現れて、人はその流れにときどきブイを放り込むことはできるだろうが、果たして流れを自在に行ったり来たりできるのだろうか、アナログな流れに生身で立ち向かわねばならなくなるんじゃないかとか、ちょっと心配になってくるのだが、ま、どうでもいいことか。どーせ他人事だもん。
 
 

大辞林 第三版の解説
アナログ【analog】
物質・システムなどの状態を連続的に変化する物理量によって表現すること。 ⇔ デジタル
 
デジタル大辞泉の解説
デジタル(digital)
 
《「ディジタル」とも》連続的な量を、段階的に区切って数字で表すこと。計器の測定値やコンピューターの計算結果を、数字で表示すること。数字表示。⇔アナログ。
 
▼アナログ時計では時間がわからない。文字盤の針が読めない生徒が多い為、イギリスの学校がアナログ時計を撤去 : カラパイア
http://karapaia.com/archives/52258890.html
 
▼Schools are removing analogue clocks from exam halls as teenagers 'cannot tell the time'
https://www.telegraph.co.uk/education/2018/04/24/schools-removing-analogue-clocks-exam-halls-teenagers-unable/