四季一筆

徒然に。

卯月二十八日、何者でもありたくない

▼卯月二十七日、やりたいこと
http://d.hatena.ne.jp/kikai-taro/20180427
 
きのうは「いー歳したオトナが、自分のやりたいことがわからない」なんてうそぶいていると書いたけど(私のことだ)、そのあと気づいたのは、自分は「何かになる」のが嫌なんだな、ということ。
 
やりたいことを決めるというのは、自分自身の役割を決めるということなんだけど、その決められた役割というより、役割を決められてしまっている、何かを割り振られてしまっているという状況に我慢ならないらしい。
 
◇ ◇
 
病院の検査で造影剤を静脈注射で入れて、体の中をCTで撮影するなんてことをやったときに、検査技師のおにいさんが「ご職業はサラリーマンですか?」と唐突に訊ねてきたことがあった。「はあ、まあ」と曖昧に返答していると「いいですよねぇ、サラリーマン。見るからにサラリーマンて感じですもん」とか。
 
すごく、むかついた。
 
たぶん技師のおにいさんは病院の正職員ではないとか何とか、彼なりの事情があり、加えて彼自身に対する憐憫のようなものがあって、そんなことを口走ったのだろうと私は勝手に推測しているのだが、そんなことより「サラリーマンでしょ」と決めつけられた、その瞬間に憎悪を抱いていた。
 
おれ、サラリーマン、なのか?
いや、違うし。
確かに月給もらっているけど、「サラリーマン」て仕事じゃないし。
プログラマだし。
っざけんなよ、ガキ。
 
◇ ◇
 
そのとき、ああ、自分でプログラマだと思ってはいるんだ、とも同時に思ったけれども、たぶん他人から「あなたプログラマでしょ。そんな顔してるわ」とか言われたら、やっぱりムカつくと思う。
 
つまりどういうことかというと、他人からあれこれ役割を決めつけられること、それが耐えられないほど嫌だ、ということだ。自分で決めるのは構わない。たぶん曲がりなりにもプログラマだし、サーバ立てたり、DNSいじったり、業務システム開発の上流から下流、そしてテスターまでやったり、ウェブメトリクスやマーケティングもやっているから、システム屋の端くれだと思う(B級だけど)。それはそれで構わない。自分で言ってるんだから。
 
だが、他人がそうやって「おまえ、◯◯なんだから、◯◯らしくして、そこ、座ってろ」みたいなことを言われると参ってしまう。
 
「オレ、◯◯なの? そうなの? それでおしまいなの?」とうろたえ始めてしまう。落ち着いて座ってるなんてできない。
 
◇ ◇
 
やりたいことは色々あるんだと自分で思うし、目の前のことに集中するとかもできるんだけど、「◯◯をやりたい」と意識したり宣言したりすると、途端にそれが自動的に「わたしは◯◯をやりたい人」という制約になってしまって、息苦しくなるのかもしれない。
 
だから「やりたいことがわからない」と取り敢えず逃げているのかな。「わからない」と一見してそっぽ向いておけば、「やりたいことがわからないンだって? いい年して、ダメなやつだなぁ。まあ、多様性ってやつ?」と軽蔑されるだけで済むから。
 
「おまえ、◯◯なんだろ、シッカリしろよ」と叱責されることだけはない。