四季一筆

徒然に。

けさはぐったりしている。酒を飲んだわけでもないのに、気怠い。なんだろ。湿気の多さかな。

10時過ぎに寝床から起き上がってみると湿度計が74%とかで、そんな具合なんじゃないかと思った。息子はお腹を壊して夜中にトイレにこもっていて、けさは食欲がないとか言ってるし。

こんなとき、実は地球がそんな領域を通過中で、全世界の人類の殆どがそんな具合かもしれない……、て、よく考える。SNSへの書き込みを解析しているAIがそんな現象を発見するとか。SNS天文学? SNS量子物理学? AIが科学の新領域を発見するという話。人間の感覚とネットへの書き込みが組み合わさって地球観測のセンサーになっているわけだ。

因果律が崩壊した領域を地球が通過して云々という短編SFをはるか昔に読んだけど、それを思い出す。

最近読んだ記事にフォノン(音子、音響量子)も量子的に振る舞うみたいなのがあった。その記事を読みながら、実は量子的振る舞いというのは日常生活で多発していて、それに気づかない、もしくは気づかない方が便宜上都合がいいだけなんじゃないか、て思いはじめた。実は微視的な量子力学の世界というのは、はるかに大きなスケールにも適用できたりして。

怪異現象とか幽霊とか超能力とか、『Xファイル』流ならパラノーマル・フェノメノン(Paranormal Phenomenon、超常現象)というやつは、物質が量子的に振る舞っているだけのことじゃないか、て。とすると、私たちが「命」とか「思考」とか、まあ、とりあえず人間に主に存在していると仮定している事象についての殆どが説明可能になるんじゃないかとも思う。永遠とか転生とか、光速とか時間の果てとか、この宇宙の説明をしている物理学的事象の説明を容易に超えて行き来している事柄なんじゃないか、なんて夢想したくなる。

同時に、そんな存在であるのだから、それらの事象を受発信したり操作するための器官を生物がもっていてもおかしくないだろ? 言ってみれば魂の拠り所、命の器官=機関のようなものとして。いやいや、生物だけじゃなくて、石っころとかの無生物であっても、魂とか宿していてもおかしくはないだろ。人間の数万倍も波長の長い「脳波」のようなものを持っているかもしれない。それが観測不可能というだけで、石には魂が無いとか断言しちゃっていいのかな、て。

人間の細胞一個ずつ、ひとりの人間を構成している37兆個の細胞ひとつひとつにそんな意思や魂のようなものがあって、加えて100兆個を超えるといわれる体内微生物の分も合わせると、ひとりの人間の思いとかは無数の魂の代議制の結果なんじゃないかと思われてくる。人間の意思とか思いとか魂とか、我々が普段なんの疑問もなく口にしたリ前提にして信じているものは、そんな140兆個の思いの総体という、実は大海原に浮かんでいる小さなボートのように頼りないものなんじゃないかと思われてくる。

(あ~、めんどいからタイトルはイイや、と今日は投げやりな投票結果の日曜日だ)

 

米シカゴ大は音の最小単位であるフォノン(音子)を量子的な重ね合わせにしたと発表。音が「聞こえる状態」と「聞こえてない状態」が重なり合うとき、何が起こるのでしょうか?