四季一筆

徒然に。

弥生二十三日、巻き爪

最近気づいたのだが、靴をはかなくなって足指の巻き爪が治った。
 
足の“おやゆび”=母趾の爪が巻き込んで、歩くと渋いように痛かったのだが、革靴を履いて通勤していたからだ。先の円いゆとりのある靴を選ぶようにしたり、いわゆるウォーキングシューズと言われるたぐいのものを履いたり、思いつく工夫はしたものの、何年も巻き爪に悩まされていた。
 
一時期はスニーカーを履いたりしていたけど、それでも巻き爪は治らなかった。何よりも、靴を履いている時間が長すぎる、それが原因だったのだろう。水虫にはならなかったが、巻き爪になった。
 
◇ ◇
 
独立して1年半、気づけば、永年つらかった巻き爪が治っていた。一日の大半を裸足で、自宅の板張りの上で過ごしているからだろう。足先を広げられる、足指を圧迫するものがない自由さ、それが巻き爪を解消したのだろうと思う。
 
◇ ◇
 
会議や式典のとき、靴を履いてじっとしていなければならない時、自分の足指を広げられないことに気づく。そりゃそうだ。靴の中に収まっているんだから。
 
けれども、気づいたが最後、周りのことなんかどうでもよくなって、靴の中に押し込められ、縮こまっている自分の足指が、頭の中で大きく膨らんでくる。自分の感覚の大半が、つま先の十本の指に集中する。そしてイライラし始める。大声で叫びたくなる。そんな焦燥感を抱えているくせに、状況が何も許してくれないことへの無力感と、胸のうちに沸き起こり肩に抜けようとする痒みのような恐怖……。
 
靴の中で指をもぞもぞやって、何とかこの囚われの感覚を解消しようなんてことをしていると、土踏まずが痙ったりして状況がかえってひどくなったりする。
 
◇ ◇
 
もしかしたらこれは一種の閉所恐怖なんじゃないかな。自分のつま先だけが閉じ込められている恐怖。拘束恐怖とでもいうのだろうか。
 
小学校の卒業式の時、このような発作的な感覚に初めて襲われた。おかげで、小学校の卒業式のことを殆ど憶えていない。いや、式典と呼ばれることの殆どが、記憶から欠落している気がする。
 
◇ ◇
 
ともかく、会社を辞めて靴を履かなくなったおかげで、巻き爪の痛みから解放された。これはこれでひとつの正しい方向だったのだろうと思う。