四季一筆

徒然に。

迷惑メール考

某通販サイトで買物する。以前は、お買い上げ確認とか、商品発送とか、お届け完了のお知らせがメールで来てたんだけど、ここ一週間くらいのあいだ来なくなった。使っているメールプロバイダが勝手に受信拒否しているとしか思えない。Twitterで検索したら同じ症状のひとが多数いるのがわかって、ああ、そういうことか、と何となく納得した。

メール送信者のメアドを連絡先一覧に登録しておけば通るよ、みたいなツイートがあったので、試しにやってみているところ。結果がどうなるか、次の買物までわからないけど。

 

ときどき、メールプロバイダの迷惑メールフィルタに引っかかって迷惑メールフォルダに仕分けられちゃった子たちを覗きに行くんだけど、何か、悲壮感というか必死さ加減が感じられて可哀相になる。頭の中がメスのことしかない若いオス猿のような感じで。こういうのは誰かが最初にひな形とかプログラムとか作っているんだろうけど、こんなもん作っている、もしくは作らされているエンジニアは本当に可哀相だな、て。

まあ、送信元メアドが *.ru とか *.cn とかダメダメなのは、トラップの設置者がまるきりダメダメな子たちがやっているから仕方ないとしても、メールの件名とか本文とかが稚拙で、なんか中二病ニオってくるなぁ、みたいなのは、ちゃんとした日本語に直してあげたくなる。文章の体裁とかも。

けど、このレベルで引っかかる一般ユーザが存在しているからこその需要と供給なんだろうから、数打ちゃ当たる、ってんで、やってんだろうな。

 

本来なら社会的な信頼のネットワークのようなもので不用心な人達を十分に受け止められる=引き止められていたから、無用な詐欺なんかには引っかからなかったんだろう。でも今では、摩擦ゼロになった情報通信技術で瞬時に、そして容易にそんな不用心な人達が絡めとられているんだなぁ、と思う。

信用社会というのは、とっくのむかしに消失しているのかも。便利になった対価として。いまは、20世紀の残滓のような商業的な「信用」とか権威的な「信頼」の欠片で、危うくバランスを保っているだけなのかも――そんな具合に思いたくなる。きっとこの社会の体裁は、間もなく限界に達するんじゃないか。信頼とか信用という前世紀までの価値のプラットフォームを無意味にする者たちが、限りなく低くなった障害や経費や戸惑いや良心を飛び越えて沢山わいて出てるんだから。

 

流れ着いて仕分けられた迷惑メールを眺めると、使ってもいないクレカや ETC契約やらを騙って、何とかクリックさせようとしているんだけど、そういうメールはソースを開いて送信者の情報とかルーティングとかを調べ、ああ、この国のこの町から来てるのね、なんて納得して、そっと閉じている。30日すれば自動で削除されるから、それまではそこで寝ていなさい。

ときには、攻撃者は新しい PCを買った方がいいよ、とか思うこともある。某国に侵入した兵隊の副業じゃないかと思われるメールは、Windows95から送信されてたよ。可哀相に。

 

こういうのは PCだから色々調べたりできるわけで、スマホとかタブレットしか使わない人だったらタップしちゃうかも。