四季一筆

徒然に。

卯月二十六日、みんな神様

日本には「悪魔」というものが居ないのかな、と思った。宗教とか神秘主義とかは門外漢だが、ときどき色々と考えてみる。頭の体操だ。
 
西洋の悪魔は地獄を住処としているようで、もとは天使だったかもしれないが、地獄に堕ちることで悪魔となった。いや、悪魔となったから地獄に堕ちたのか。
 
日本の地獄を仕切っているのは閻魔様で、もともとはインド方面からやってきたらしいけど、日本では地蔵菩薩の化身という位置づけになっている。そもそも仏教というやつが舶来製なので、日本の地産地消的体系とは違っているはずだ。
 
もしかしたらインド製の閻魔様を、仏教的地蔵菩薩へとハイブリッド化して、日本的体系での理解が容易になるように変換を施したのだろうか。
 
◇ ◇
 
まあ、統括者の閻魔様は置いておいて、現場で働いているのは確か「鬼」だったかと。とすると、悪魔に一番近いのは鬼なんだろうか。ちょっと違うような気がするのは、日本の鬼は簡単に退治されちゃったり、友だちになったり、大晦日になると一般家庭に酒を飲みにたかりに来たりするからかも。
 
いかにも恫喝するようにやってきて、取り憑かれるとドロドロと何か吐いたり、首が360度回ったりなんてことじゃなくて、日本の鬼はどこか抜けているというか、ドジなところがある。腕を切り落とされたりするし。
 
そして何より、ぞろぞろと固有名詞が並ぶようなあちらの悪魔とは違って、「鬼」のひと言で十把一絡げにされているところなんか、まるでショッカーとかギャラクターの隊員みたいだ。固有名詞ではなくて「鬼1号」「鬼2号」みたいに。
 
◇ ◇
 
鬼の他にも妖怪とか幽霊とかあるけど、悪魔というのとはちょっと違う。不気味で、人間に危害を加えたりするところは似ていなくもないが、悪魔界のようなヒエラルヒーに所属しているのではなくて、池の端の柳の下で揺れているとか、墓場でふらふらしているとか、あちらを雇用・被雇用関係だとすると、こちらはフリーランスでやってますみたいな感じだ。健保、年金自前だし、て。
 
そんな具合に徒然に考えていて気づいた。ああ、日本のこの状況を一番わかりやすく映像化しているのは「千と千尋の神隠し」じゃないか、て。
 
◇ ◇
 
湯屋にやってくる有象無象の「神様」たちは、よく見ると、これ妖怪じゃん? というのもけっこう混じっている。ああ、そうか。他作品だけど、祟り神なんてのもあったか。
 
日本システムは、良かろうが悪かろうが、ともかく何でもかんでも「神様」ということで取り込んでしまっていて、「コイツ、悪魔。ダメ、ゼッタイ」のような最初から完全否定をするようなことは前提していない。ともかく認めてしまっている。
 
この辺が、昨日書いた「寄り添い」というところとつながってくるのかもしれない。
 
▼卯月二十五日、いたむ
http://d.hatena.ne.jp/kikai-taro/20180425
 
◇ ◇
 
であるとすると、何でもかんでも、取り敢えずソコにあるんだから、まあまずは事実としてソコを認めて、話はソコから始めようよ――という立ち位置に立てる素地のようなものを、わたし達の文化は備えているんだろうと思うけど、どうなんだろうか。
 
であるとすると、ともかくあちこちの内紛とか衝突とか摩擦とか、そういうものも、まあ座れ、話を聴こうじゃないか、という態度に表せるんじゃないかと思うんだけど。その辺の文化的素地のようなもの、それを外交ツールとして活用できるんじゃないかと思うんだけど。
 
◇ ◇
 
ま、いっか。