四季一筆

徒然に。

弥生二十二日、自然に驚け

「まず自然の驚異に驚け」のようなことを、どこかの有名な人が言ったような気がするが、誰だったのか、はたまた、果たしてそんなことを言った人が本当にいたのかどうかわからない。
 
けど、この言葉は自然科学の第一歩なんだろうと思う。日本では生き残るための日常の教えだろう。
 
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気象庁緊急地震速報がきょうからリニューアルらしい。
 
緊急地震速報 震源から離れた地域に「続報」発表へ 22日から | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180321/k10011373591000.html
 
これなんかは、コト(=地震)が起こってからの寸秒を使って人を助けようとする仕組みなので、地震予知なんていう御託宣の一種なんかよりずっと健康的だと思う。常々おもっているのだが、日本は“災害立国”なんだから、自然現象には真摯な態度で耳を傾けるのを常の姿勢にすべきなんだよ。
 
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安定陸塊に暮らす人々は、暢気に人間同士の戦争に明け暮れていればいいだろうし、「話せばわかる」なんて開き直っていればいい。だから理屈が発達し、ことばによる契約が頼りとなる。
 
けれども、地震・雷・火事・親父なんて話したって分かり合えない、理屈の通用しないものを相手にしている我々は、理屈を超えた瞬時に対応できる何かの仕組みに頼るしか生き残れないスタイルで何千年もやってきた。
 
災害が発生してから理屈をこねていたり話し合っていては間に合わない。だから、前もって根回しをしておく。コトの是非云々よりも即応性が優先されるから、絶対的な命令系統に安住していることが安心感につながる。
 
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もちろん、そんな旧態依然とした仕組みを無自覚に踏襲し続けるのは、外国とやり取りする時代にはそぐわないだろうことはわかるけど、何千年もそうやってきたという習い性のようなものをきれいに払拭する方法を見つけてから、西洋かぶれになってもらいたいもんだ、と五十代になって強く思うようになった。
 
一丁ことがおきて、災害が根こそぎ日常生活を持ち去り、鉄砲水や洪水、津波が何もかもを押し流してしまうのに、論理も言葉も契約も善悪判断も無力だ。相手は人間ではないのだから。
 
「水に流す」という表現は、都合の悪いことを知らん顔した人が水に流してさっぱりするのではなく、鉄砲水や洪水や津波といった「水」が何もかもを押し流してしまうのを、人はただ黙って見ているしかない――そんな意味なんじゃないかと思ったりする。
 
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新田次郎が描いた気象遭難の時代とは違って、いまの天気予報はかなり正確に今日明日の天気を教えてくれる。それに、ラジオの気象通報を聞いて天気図を自分で引かずとも、テレビや新聞、ウェブで最新の気圧配置図を見ることができる。
 
ちょっと調べれば、きょうの登山がヤバいのかどうか知ることができる。
 
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だから、外国の人が日本にやってきて、安定陸塊の論理で体験型ツアーを楽しもうとすると、ちょっと危ないことになるかもよと、誰かが教えてあげないとね。少なくとも、地元の知恵のようなものを、もっと活用できるんじゃないかな。
 
◆「このぐらいの雪なら…」救助の13人 軽装の人多く 登山届せず | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180322/k10011374891000.html