四季一筆

徒然に。

謹賀新年 2021

はてなから「1年前のブログを見ましょう」なんてメールが来て、ああ、一年間なにも書いてないや、ということで。

 

去年の今日は「こうもりで行こう」なんて勝手なことを書いていたけど、結局、息子の中学受験とか、その後の臨時休校とか、なくなってしまった入学式だとか、その後も臨時休校とか分散登校とか、自宅学習で煮詰まる息子とか――もう、大変な一年でした。

4年前に自宅仕事に切り替えておいてよかったというか、結果論なんだけど。

で、今年はどうしようか、と。3年間、気が気でなくて心のゆとりが無くなっていた原因の中学受験がなくなって、一種「中受ロス」のような状態もあって、まるでチェーンが外れたまま惰性で進んでいたような10ヶ月間でしたが、そろそろなんとかしないといけないよな、と。

きのうの生放送本番に20分遅刻した某さだ氏のように「月になる」というのもいい。毎日決まったように昇って沈む太陽よりも、毎日違った時間に登場して、時には出てこないこともある月の自由さだとか。

そもそも人が不幸になったり、不愉快になったり、不機嫌になってしまうのは、その人が他人の時刻表に拘束されているからだ、というのが2020年の私的発見でありまして、なるほど、それなら他人の時刻表に振り回されない、もしくは自分自身が勝手に想定して恐れている“他人の時刻表もどき”のようなものを廃していくというのはどうだろうか、と思った。

何年か前、毎日通勤で職場と自宅との間を往復運動していた頃に、よく心の中で唱えていた言葉を思い出した。

「不焦不競不急」。ふしょう、ふきょう、ふきゅう。

焦らない、競わない、急がない。つまり、他人のスケールで自分を測ったり、他人の土俵に上がっちゃったり、他人のフンドシで相撲をとったりしないようにしよう、という自戒であります。

競わなきゃ勝てないじゃん――という意見もあろうが、勝ち負けに巻き込まれている時点で状況に負けてしまっているわけで。

理想は、状況を支配すること。勝負師じゃなくて胴元になるってこと。パチンコも宝くじも運営者が必ず儲かる仕組みだというし、ちょっとむかしの流行り言葉では「ブルーオーシャン」というのもあったし。まあ、競合がいないということはメリットも存在していないんじゃないか、というツッコミはできるけどね。

 

ということで、謹賀新年。2021年は私的温故知新で「不焦不競不急」で行こうと思う。うん。

 

あ、おかげさんで、息子は無事に第一志望に受かりました。御三家とかじゃないけど、身の程というやつで満足してるみたい。