四季一筆

徒然に。

弥生十五日、だらしなさの裏表

何だか色んなことをやって疲れ切って、ハッと目覚めてみると朝、カーテンの隙間から漏れている随分と明るい光の影で目覚まし時計を見ると10時2分で、やばっ、「遅れます」コールを入れないと、まだ始業から2分だから連絡可能な範囲で、デスクは席にいるはず、こんなだらしないなんてどうしようもないな、と隣に眠るカミサンを起こさないように寝床を抜け出そうとして気づいたのは、ああ、こんなだらしない生活をしたくて会社辞めたんだっけ、とホッと一息ついて体の緊張を解き、頭を再び枕に戻した――というところで目が醒めた。
 
時計は午前6時を指していた。
 
◇ ◇
 
正直なところ、朝をゆっくり過ごせるからというのが会社を辞めた理由のひとつ。この十年以上、ずっと辞めよう辞めようと思い続けて、ようやく辞めたのが1年半前で、どうしてもっと早くに辞めなかったのかなと後悔しきり。
 
会社を辞めたコトについては、後悔なんて一度もしていない。
 
◇ ◇
 
戦中派だった親に言わせれば「なんてだらしない」てことなんだろうけど、はて、「だらしない」とは何だろうか、と。いや、言葉の意味とか語源とかを追究しようというのではなく。
 
意味については軽く、誰もが知っている範囲でということで。
 


だらしない
大辞林 第三版の解説
 
( 形 ) [文] ク だらしな・し
〔「しだらない」の転。近世以降の語〕
(1) (外面的に)きちんとしていない。整っていない。 「 − ・く口を開けて寝ている」 「 − ・い服装」
(2) (内面的に)節度がない。毅然としていない。しっかりしていない。 「金銭に−・い」 「政府の顔色をうかがうマスコミの−・い姿勢が問題だ」
[派生] −げ ( 形動 ) −さ ( 名 )

 
「しだら」が「だらし」になったという辺りは、業界的逆さ言葉と同じで面白いけど、「しだら」がもともとはサンスクリット語の「スートラ」だったとか何とか、そういうところまでは踏み込まないヨ。
 
◇ ◇
 
さて、仕事にかまけて育児をカミサンに任せっきりにするとか、残業で睡眠を削って病気になるとか、そういうのは「だらしない」とは言わないのかどうなのか、と思うのだ。大体、共働きでカミサンに任せっきりになんて出来るわけないじゃん。
 
何も考えず他人の言いなりになって、できるだけ責任を回避しつつ、誰かの時刻表に相乗りしているほうが、ずっと「だらしない」んじゃないかな。
 
自分の家族や健康や子どもの成長を放棄して、他人事ばかりにかまけている、それも無用なご機嫌取りの会議だとか、胡乱な問い合わせだとか、そういうものに自分のコストやリソースを使うことのほうが、ずっと「だらしない」んじゃないかと思ったのが会社を辞めた理由のひとつ。
 
◇ ◇
 
会社を辞めた理由なんて百ほどあるけど、「だらしない」生活をしたかったのだ。おかげで、ほぼ毎日のように混雑遅延する「だらしない」地下鉄に揺られることがなくなったし、「だらしなく」ずるずると長引く会議に出ることも不要となり、いたって快適だ。