四季一筆

徒然に。

卯月十九日、沈黙の左手

左手の人差し指を怪我した。床に落ちかけたプリントを押さえようとして、テーブルに近い左手が伸びたのはいいのだが、人差し指の爪先がテーブルの縁に激突、爪が長さの半分くらいのところで、幅の半分くらい折れ曲がり、割れ、はがれ、血が出た。
 
もう、痛いのなんのって、しばらく指を押さえて声が出なかった。
 
◇ ◇
 
すぐに右手で圧迫して止血、それから手が不自由なまま引き出しを探って防水タイプのフィルムテープと、T字型の指先専用テープを出してきてきつく巻いておいた。おかげでいまは割れたところが筋となって残っているけど、何とかくっついている。
 
水濡れの場面では指サックをはめて、さらに防水しておいた。テープに指サックで曲げることができない。そんな具合で、怪我をしてから今までの二日間の不便さといったらなかった。そして何より、左手の人差し指というのが実は物凄く働き者だったということがわかった。何も主張することも、晴れがましく活躍することもなく、黙々と仕事をしていたんだなぁ、と。
 
◇ ◇
 
まず最初に困ったのは、服の脱ぎ着。怪我した指先が痛くて、ボタンを巧くはずしたり留めたりできない。人差し指がこんなところで大活躍していたんだとわかった。右手が何事もなく動くから、痛くてもたついている左手にため息をついているような気がする。
 
洗濯したタオルを「ぱんっ」と振るって広げるときには、両手の人差し指がまっすぐに伸びてタオルの振り始めから振り終わりまでを微妙に調整して、タオルの軌道を制御していることがわかった。人間は無意識にこんな細かいことをやってるんだ、と発見した。
 
振り広げられた制御しきれないタオルが跳ね返ってきて、怪我部分にぶち当たり悲鳴を上げるというオマケ付きだった。
 
パソコンのキーを叩くのは、特に問題なし。指先に響いて痛いかと思ったけど、指の腹側でキートップに触れるだけなのでなんともない。指サックの指先が大きいので、pomeraのようなキーの小さめのデバイスでは苦労するくらい。
 
◇ ◇
 
何よりもびっくりなのは、色んな場面、「常に」と言ってもいいくらいに、左手の人差し指が“触覚”として機能していたんだぁ、ということ。
 
家の中を歩いているときに、左手の人差し指の爪の表面で軽く家具の角に触れているとか、棚に物を置くときに、既に置いてあるものとの距離感を指先でかすることで確認しているとか、洗ったばかりのぬれている食器を水切りカゴに置くときに、左手の人差し指の指先で他の食器を軽く押さえているとか……。
 
自分では意識していなかったけど、右手が華々しく刃物やスポンジや2穴パンチを振るったり、高いところにあるものを取り下ろしたり、ペンやマウスを使いこなしたりしているときに、左手、それも人差し指は、その時の周辺状況を確認する触覚として機能していたんだな、ということ。そのおかげで利き手である右手は大活躍することができていたのか。
 
◇ ◇
 
振り返れば私の左の人差し指は本当に怪我だらけで、カッターナイフでカマボコのように切られたり(病院の救急に電話したら断られたので自分で止血した)、付け根をザクリとハサミで切られたり(皮下脂肪てツブツブしているんだ、と発見が)、包丁で表面を削ぎ落とされたりしている(切り離されたほうは生ゴミで捨てた)。右手が晴れがましく刃物を振るって、左手人差し指が不遇をかこっているという歴史を数々背負ってきたわけだが、今回は左手がテーブルの縁に衝突するという、言ってみれば“単独事故”で、そのおかげで刃物では怪我をしない指先の爪割れという怪我を負うことになった。そのおかげで、半世紀も生きてきて、ようやく左手人差し指の重要さを(文字通り)痛感できたというわけか。
 
◇ ◇
 
もしかしたらそれを私に知らせたくて、左手の人差し指は決死の覚悟で単独事故を起こしたのかな。それとも、なかなか気づいてくれない自分の不遇を呪ってひと思いに……