四季一筆

徒然に。

卯月十八日、楽と苦労の総量

小学校から帰ってきて外で遊びたがる息子を、何とか机に向かわせて、たまり始めている塾の勉強に誘導。宿題が終わっていないのに、しかも塾に行く日なのに、外で遊びたいとか、もうそろそろ無理なんだよ。
 
人間が進化して社会性を獲得し、おそらくそのときに言語も獲得した。そこからさらに一段と進化して発達して、いまでは社会性に加えて科学技術も人類の進化の一部として獲得してしまっているのだから、勉強することから逃れることはできない。
 
進化の過程で獲得された社会性の中において、出来るだけ他の個体より優位に立つためには勉強が必要なのだ。それがひいては、人類全体の進化の原動力になっている。
 
人類の進化、それが受験勉強の理由なのだ。学歴や社歴というのは結果にすぎない。
 
◇ ◇
 
人類の進化の所為だから仕方ない。誰の所為というわけでもない。
 
いつまでも猿のように遊んでいたい気持ちは分かるけど、楽と苦労の総量が変わらないとしたら、先に苦労しておいたほうがいいだろうと思う。齢(とし)とってからの苦労というのは、若いときの苦労よりも苦労する。あれ? そうすると、苦労の総量は変わってくるのかな。
 
ま、いいや。
 
◇ ◇
 
若いうちに苦労しておくほうが、後々、いろいろと良いことが多いのだと思う。人類は社会的に進化している。その進化の流れに沿って、個々人の苦労の質やタイミングが変わってきているのだ。
 
若いうちに苦労することは、直接的に人類の進化・進歩に自分自身が触れる機会を多く与えてくれるだろう。
 
◇ ◇
 
それに、若いうちに苦労すべきというのは、先人の知恵としてずっと昔から言いならわされてきている。若いうちの苦労は買ってでもせよ、と。その点はむかしも今も変わらないのだよ、息子よ。