四季一筆

徒然に。

弥生九日、毎日が新鮮

7年前のきょうは水曜日。午前中に病院にゆき、午後は会社を休んだのだった。
 
◇ ◇
 
前年の手術の後、抗癌剤治療をやっていて、その副作用であちこちの皮膚が切れて出血していたり、手足が裂けそうな痛さを伴っていて、手先を使う筆記とか打鍵がひどく困難になっていた。足指もつらくて、まず普通に歩けない。なので、しばらくの間、自宅で仕事をしていた時期だった。
 
そして明後日の金曜日にアレがやってくるのだが、それから7年。私達は、少しは進歩したのだろうか。同じような過ちを繰り返し続けているのは、人類としての宿命なのだろうか。
 
◇ ◇
 
古今東西の本を読むと、昔から、それも太古から、人は同じような過ちを繰り返し、同じような悩みを抱えている。なぜ、いまだに解決できずに引きずっているのだろうかと思う。「この場合は違うから」とか「私は違うから」という言い訳なんだろうと思う。私だって「きょうは○○だから」と自分に言い訳を重ねながら生きているから。
 
きょうの自分は新しい特別だから。
 
そう。そうなんだよ。それは真理なんだ。毎日が新しくて特別。それが真理だからこそ、過ちを繰り返し積み重ね続けることになる。「過ち」と言うけれども、積み重なった過ちのひとつひとつは、ひと組として同じものはないのだろう。なぜなら「毎回特別な新しい過ち」だからだ。
 
実のところ、人にとってソレが正しかろうが過ちだろうが、どちらでも大した違いはないし、そんなことを本気になって悩んだり心配したりする人間なんていないのだ。いつも毎回、何かが違っていれば、それだけで人は満足できる。目の前の状況が善だろうが悪だろうが、どちらでも構わない。異なっていること、それが重要なのだ。なぜなら、それこそが存在している証になるから。善悪判断なんて意識が生み出したアクセサリーのようなものだ。大切だけど、ね。
 
つまり、過ちを繰り返し続けるのは、ヒトの宿命なのだ。