四季一筆

徒然に。

如月二十日、八掛けの世界人口

陰謀論めいているが、もし世界人口70億人が嘘だったとしたらどうなんだろうと思った。
 
統計数字なんてのは実に適当に発表されていて、そもそも正確な数字を確かめる術なんてなくて、国と地域が公式発表している人口統計の数字がいい加減なもので、政治的配慮とか、単純に手続き的限界とか色々な理由で、合計してみたら実は70億人もいませんでした――なんてことだったら、どうなるのだろうか、と。
 
反対に、既に世界人口は100億人なんてとっくに突破していて、学者がやばいやばいと警告している未曾有のレッドゾーンなんてものに、人類はどっぷりと浸かってしまっている可能性もあるわけだし、むしろそっちのほうがありそうな気もする。
 
けれども、取り敢えず公式統計がサバをよんでいて、実は八掛けくらいの人口が実数だったとしたら。そしてその数字のズレに、多分に“政治的な配慮”とかが働いていたとしたらどうなんだろう。数字の上では計上されているが実は存在しない2割の人口の分だけ物資や資源が帳簿上は足りなくなっているわけで、その分を需要と供給の関係から商品価格に上乗せできたとしたら……、なんて不遜な妄想を抱いてしまった。
 
◇ ◇
 
「150人の法則」なんてものがあるそうだけど、一人の人間に適正な人間関係なんて、70億人なんて莫大な数ではなくて、実はもっともっと桁の小さいものなんじゃないかと思う。
 
◇ ◇
 
何かで聞いたけど、人が一時に把握できる個数は7くらいで、それを越えて8以上になると「たくさん」で表現される領域になるとかならないとか。だから、ラッキーセブンであり、末広がりの八なのだ、と。
 
それと同じように、150人を超えると「たくさん」と認識される領域にいってしまって、実のところそれ以上に何人いたところで「たくさん」でしかないとしたら、役者が70億人もいなくても、もっと少ない数で地球人類を表現できるんじゃないかな。
 
メディアで見かける人達がいつも同じなのは、そういう理由だからだろうか。
 
◇ ◇
 
まあ、桁が違ったら雰囲気的に「変だな」と感じるやつが出てくるかもしれないから、取り敢えず八掛けくらいでいってみよう――なんて操作がされているじゃないか、と陰謀論を広げてみたくなる。
 
八掛けでも50億人とか60億人で、配役の数としては十分すぎるくらいだ。これくらい居たら、個々人の夢や希望や意識や都合なんてものは消し飛んでしまって、人間が統計的存在となってしまうから、多少、多かろうが少なかろうが、頭数の問題としては何ら問題とならない。ただし、経済的には結構おいしい数字が出てくるだろう。一種の粉飾決算か。