四季一筆

徒然に。

卯月二十三日、ハブラシという確率装置

筆や刷毛にベッタリと絵の具やペンキをつけて描くというのは、確実に紙や壁面に着色する方法だが、ハブラシというのは確実に歯を磨く道具として妥当なのだろうか? と、寝る前の息子の口をのぞき込みながら、仕上げ磨きをしている。
 
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絵の具をつけた筆を画用紙に押し付けると、ある面積を持った絵の具の接地面のようなものが画用紙の上に現れる。筆先をそうやって押し付けたまま紙面に沿って動かせば、ある程度の太さを持った線を紙の上に描き出せるだろう。その太さを束ねていけば、比較的カンタンに、目に見える速度と面積とで紙を塗りつぶす過程を確認できる。
 
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いっぽう、歯ブラシが歯の表面に当たっているのは、歯ブラシの毛先の一点だ。もちろん、毛先がけぶって見えるような極細であっても、ミクロン単位での毛先の接地面積のようなものがあるだろう。けれども、あくまでも毛先は毛先であって、絵の具のように広がったりはしない。
 
だから、歯ブラシの毛先一点が一回通過しただけでは、歯はキレイにならない。だから、小学校とか歯医者でのブラッシング指導では、歯ブラシを軽く歯の表面に当てて、細かく振動させるように磨いてください――と言われるのだ。電動歯ブラシ市場が成立している理由でもある。
 
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簡単に言ってしまうと、歯ブラシで歯磨きをするのは「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」というやつ。もちろん、下手すぎるブラッシングでは汚れは落ちないから、それは論外。ここで言いたいのは、きちんと磨いている歯磨きとは言っても、あくまでも偶然の積み重ねによって歯がきれいになっているんじゃないかな、ということだ。
 
絵筆で塗りつぶすのは必然的な行為としてなんだろうが、歯ブラシで歯がきれいになるのは偶然の結果なんじゃないだろうか。2次元平面を0次元的道具で掃除するんだもん。無理があるよなぁ。だから3次元的ツールとしてデンタルリンス市場の理由が生まれるわけか。
 
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「これだけ細かく繰り返して歯を一本一本磨くようにしていれば、きっと虫歯にはならないだろう。明日の朝おきたときでも、きっと歯はツルツルだろう」と期待して眠りにつく。そう。人が期待するというのは必然ではなくて、偶然の結果を願っているということなんだろう。
 
つまり確率的に好都合を願っているということ。
 
日常生活なんて概ね確率的なんだな、と思う。何もかもが殆ど確からしい確率で繰り返されているから、自分の生活が偶然の積み重ねの上に成り立っているなんて思いもせず、あらゆることが予定された必然で構成されていると信じているけど、実は確率的に確からしいだけであって、もしかしたら次の瞬間は平穏な日常が破られる=期待が裏切られるんじゃないか、て。
 
そんなこと考えながら、息子の歯の仕上げ磨きをするのは、私自身が確率的に息子に期待しているからなんだろう。それが社会的なあれこれにぶつかったりすると、まるで地下に隠れていた断層が地表面に現れた露頭のように感じられたりして驚くのだ。偏差値のように(アレも確率のハナシだからね)。
 
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「2次元平面を掃除するのに3次元的装置が適切なら、3次元的掃除には4次元的装置がふさわしいのではないか」とか、「未来は既に決まっているけど不確定なのは今現在から眺めるからであって、時間軸をしごくように進めば確率的だった未来が確定するんじゃないか」とか、歯を磨いてやりながらアレコレ考えるんだけど、そんな話を息子とできるようになるのはいつなんだろう。