四季一筆

徒然に。

卯月十六日、刻まれる記憶

2年前の4月16日は「熊本地震」の本震だった。四日前に入院した父親が、未明の3時に病院からケータイで電話をかけてきて、「うちに帰る」。
 
自宅にひとり残した妻=私の母親のことを思ってのことか、それとも眠れない夜のラジオで聞いた、かつて住んでいたことのある阿蘇の状況が気がかりだったのか、自分の死期を確信して取り乱していたのか。
 
それから二週間ほどして、父親は病院で亡くなった。その数日前にベッドの上で一言、荒げた声で「もう、いいんだ!」。
 
◇ ◇
 
1995年の阪神淡路で世界が変わったと確信し、2011年の東北地方太平洋沖地震による東日本大震災のときの私は、抗がん剤の副作用に苦しんでいたのだった。
 
そうやって大きな地震が起こるたびごとに、記憶の中に、当時のことが刻まれて残っていく。あといくつ、そういう刻み目ができるのだろう。
 
亡くなった方の冥福を祈ります。