四季一筆

徒然に。

卯月九日、春休み疲れ

実際に「春休み疲れ」というものがあるのかどうかはともかく、“通常運行”での小学校の新年度時程が始まってくれて、ほっとした。きょうから給食だし、昼ご飯の心配が減っただけでも、かなりラク。その所為だと思うけど、きょうの午前中はどっと疲れが出て、子どもを送り出したあとに殆ど眠っていた。
 
午後から復活。
 
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ラジオニュースでは、日本の労働生産性が云々て話をやっているけど、比較の基準がどうなのかとか、為替の影響はどう考えるのかとか、そもそも需要と供給の質の面はどうするのかとか、そんな気になるところを全部すっ飛ばしているので呆れた。「おもてなし」と「IT」て流行り言葉だけで理解できるほどウブじゃないぜ。
 
▼日本のサービス業 労働生産性「米の半分ほどの水準」 | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180409/k10011395421000.html
 
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サービス業の労働生産性ということなら、いわゆる「主婦」とか「主夫」というのはどうするのかな、と、最近の我が身から考えてしまう。正直、現在の私は自営業だけど「兼業主夫」だよな。
 
家事労働を年収に換算したら、200万だ、300万だ、いや1200万円だ、と諸説あるようだけど、これだってそれぞれの世帯を単純に比較できるものでもなく、それぞれの家庭によって家族の構成員が求める需要の質と、それに応える供給の質とが色々なわけで、一概に決めつけるなんてできない。
 
たとえば、帰宅して靴下を今の床に脱ぎっぱなしにしている息子に、汚れた靴下を洗濯機に持っていくように指示するのと、何も言わずに親が持っていってあげるのと、一見したところ後者のほうが“高コスト”に思われるけど、将来的な息子の“人間としての仕上がり具合”も加味したとき、果たして“高コスト”と無邪気に言っていられるだろうか、と。
 
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思えば、会社で仕事をしていたときのほうが、物事はずっと単純だったな、と思うわけです。会社の仕事していれば、それが大義名分となって自分自身を護るための鎧(よろい)となってくれていたのだから。
 
いまでは毎食の準備と片付け、布団の上げ下ろし、献立の計画、買い出しや注文、健康管理、安全管理と諸手続き、室内清掃や日用品の補充、子どものプリントと連絡帳のチェック、持ち物のチェック、塾の勉強のカリキュラムのチェックと計画と進捗管理、苦手科目や単元の調査と対策のための研究、神棚と仏壇のお世話……という具合に、八面六臂化している。
 
いまだに家事炊事育児は女性の仕事なんて思っている男性が多い日本では、色々なメディア(本、雑誌など)の情報もその軸で構成されていて、あ〜あ、何が言論の自由なんだろ、と呆れてしまうのだけど。
 
ほんと、好きな表現じゃないけど「世のおかあさんたち」は大変だよな、と。(いまので5千人くらい女性票、稼いだかな)
 
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ともかく、求められる需要と供給とを一軸で比較なんて、そう簡単にはできるわけないよなぁー、と、塾に行く前にソファで「まちトム」を読んで笑っている息子を見て思うわけです。