四季一筆

徒然に。

卯月三日、正しい差別

息子が「アシュラは遺伝子異常なのかな?」と言うので訊いたら、顔が三つに腕が三組=六本あるなんて、きっと遺伝子異常に違いない、と。
 
▼阿修羅 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%BF%AE%E7%BE%85
 
「あんな具合に腕がたくさんある人とかいるのかな」言うので、いるみたいだよ、いまでも、と答えておいた。実際、多指症とか多肢症というのがある。インドとかで、そういう子どもが生まれると、神様のお使いだと有り難がっているところもあるそうだ。「へぇ」。
 
◇ ◇
 
子供の頃だったか、ひょっとこは先天性の異常がもとだとかで、やはり神様からのお使いということで敬われたとか、それで火の番を任せていたとかなんとか聞いた気がする。どこまで本当かしらないけど。
 
◇ ◇
 
自分とは違うもの、殊に、大多数と違うとか平均から外れているとか、つまりは少数派であるということで、どうしても私達は区別したくなる。それが「差別」というやつにつながるのだ、という考え方もあるけど、最近のマイノリティの権利活動とかで思ったことがある。少数派の権利の主張そのものが一種の差別なんじゃないか、て。
 
たとえば、これまで LGBTの人達は性的にマイノリティだということで、ひっそりと表に出ないように生きてきたのかな。よく知らないから、そのように私は考えちゃうんだけど、ともかくそうだとして、最近のLGBTの権利が認められるようになってきたのは、一種の差別なんだろうな、と。
 
これまでは「おまえたち、気持ち悪いな。普通にしろよ」という“平等主義”のような社会的圧力があった。その枠内で生きることを半ば強制されていた。けれども、最近はそんな強制に従う必要もなく、というか、そういう“平等主義”的な強制こそおかしいじゃないか、人間には多様性があるんだ、という主張が正当性を得てきている。
 
つまり、それって、性的マイノリティを区別すること=差を認めることということで、「差別」なんじゃないか、それも LGBT当事者たち自身が「差別」を求めているんじゃないか、と。
 
言葉遊びに思える?
 
◇ ◇
 
「差別」て言葉に良くない意味がまとわりついてくる。どうしてだろう。
 


大辞林 第三版の解説
さべつ【差別】
 
( 名 ) スル
(1) ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。 「いづれを択ぶとも、さしたる−なし/十和田湖 桂月」
(2) 偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。 「人種−」 「 −待遇」
(3) 〘仏〙 「しゃべつ(差別)」に同じ。
 
しゃべつ【差別】
〔「しゃ」は呉音〕
(1) 〘仏〙 平等に対して、それぞれの物が異なる独自の仕方で存在している姿。さべつ。
(2) 区別すること。 「人我にんがの−も分り憎くなる/風流仏 露伴
 
ああそうか、「偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをする」から、よろしくない雰囲気がまとわりつくのか。つまり、「差別」というものに「虐」(しいたげる)という行為が混入するから、よろしくなくなる。「虐待」「虐遇」「虐め(いじめ)」というやつ。
 
差別そのものには区別という、事実に基づいて見分ける・判別する・識別するという、言ってみれば対象の存在をそのまま認める、そこに居ることを知るという行為以上のものが無いはずなのだ。そこに何故、「不利益・不平等な扱いをする」という人間の価値判断が入り込んできてしまうのか。
 
この辺は、人間の本質が皮膚にあるという話につながって長くなるから、別のところでそのうちに書こうと思う。
 
◇ ◇
 
LGBTを始めとして、マイノリティ、クラスの中で毎日つらい思いをしている子、会社で不遇に耐えている人、そういう人達を救うのに必要なのは「それぞれの物が異なる独自の仕方で存在している」ことを静かに認める心持ちなんだろうと思う。
 
「しゃべつ【差別】」てやつね。
 
どうして「虐」の思いが立ち上がってしまうのか、その辺も人が多様性を認めようと指向することが根っこにあって、実は加虐も被虐も同根なんだけど、ま、その辺は機会を改めて。
 
どうか、新年度がすべての人にとって良い一年でありますように。