四季一筆

徒然に。

弥生晦日、マシュマロ投資

明日から新小学5年生の息子が持ち帰った塾の国語教材に、クロアリがクロシジミという蝶の幼虫を育てるという話があった。
 
本来的に肉食でもあるクロアリが、クロシジミの幼虫を巣に持ち帰って育てるという話。どのようなメカニズムで、そんな共生関係が成立するのかについては「チョウのほうがアリに話を持ちかけたのではないか」。なぜなら、アリ側としてはチョウを必要とする理由が特にないのに対して、チョウ側には切実な理由があるのだから、と。
 
チョウの幼虫が出す蜜を目当てにアリが幼虫を育てているらしいのだが、何もチョウの幼虫から蜜をもらわなくても、アリにとってのエサは他にいくらでもある。でも、チョウの幼虫としては、アリの巣という堅固な安全地帯に匿ってもらうのはまさに死活問題だ――ということ。
 
◇ ◇
 
この辺のあれこれについては、次のページが役立つかも。
 
▼うまい話には罠がある −シジミチョウの幼虫がアリを操っていることを発見− | 国立大学法人 神戸大学
http://www.kobe-u.ac.jp/NEWS/research/2015_08_04_02.html
 
▼『むしコラ』 アリと共に生きるチョウ
http://column.odokon.org/2010/1201_182100.php
 
◇ ◇
 
仕掛けはともかく、どうしてこんな不思議に思われる仕掛けが成立するようになったのかについては、進化とか淘汰という話になるのだろう。それに、アリという社会性昆虫が見せる集合知とか群知能とかに期待できるんだろうけど。もしかして量子的計算能力ってやつ?
 
◇ ◇
 
私から見ると、これはアリ側からすれば一種の“投資”なのかな、と。まあ、シジミチョウの幼虫が“化学的擬態”でアリに成りすましていて、言ってみれば詐欺の一種なんだろうけど、アリからすると同族を育てているという“投資”の信念に基づいて行動しているのだろうし。
 
そして思ったのは「マシュマロ・テスト」というやつ。
 
◇ ◇
 
小さな子どもを部屋に呼ぶ。机の上にはマシュマロが一個載った皿がある。被験者である子どもに「ちょっと一人で待ってもらうけど、私が戻ってくるまでマシュマロを食べないでいたら、もう一個あげるよ」と実験者は部屋を出る。そして部屋の中の子どもを観察する。
 
結果として、実験者が戻るまでマシュマロを我慢した子はその後、成功的人生を歩み、そうでない子は社会的成果が芳しくない人生であった――という実験。
 
▼マシュマロ実験 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%83%AD%E5%AE%9F%E9%A8%93
 
このアリとシジミチョウの関係では、アリが「ああ、この幼虫を食べたい、美味しそうだ、でも我慢だ」といって辛抱して食べないというのではなくて、同族だと思いこんでいるから食べないだけだから「マシュマロ・テスト」とは違うのだが、育児が“投資”でもあるかな、と思った瞬間に、なんだ、同じじゃん、と思ったのだ。
 
だって、育児というのはかなりの辛抱とか我慢が必要だから。
 
◇ ◇
 
大人はこのようにして状況を見る高さとか傾きを色々と試して考えられるから、「なんだ、同じじゃん」という結論を導き出せるんだけど、小学生には無理かな、と。この辺を既に理解できている子は、自分で考えて、判断して、決めることができるんだろうな。
 
うちの息子はまだまだ幼くて、机の上にマシュマロがあったら、何も言われないうちに口に放り込んでいる子だと思う。目の前の利益しか見えなくなって、“将来”とか“投資”という観念なんて期待できない。
 
息子が先日やっていた国語の参考書に「脇目もふらず」というのがあったみたいだ。塾の教材には、ときどき子どもをチクチクと刺激するような教訓的な文言が混ぜてあったりする。
 
脇目もふらず勉強するのではなくて、脇目もふらずマシュマロに突進してしまう我が子は、こんなアリとシジミチョウとの関係を教材に載せているのは、「君の今が将来に対する“投資”としての勉強なんだよ」という塾からの熱いメッセージなかもしれない――なんて考えたりするわけないか。