四季一筆

徒然に。

弥生二十七日、その後の平城京

奈良から戻ってきてGoogleマップの航空写真とか見ていると、かつて内裏などがあった平城宮跡は観光地として機能するように整備されているので、場所がはっきりとわかるのだが、そこから南に向かってかつて延びていた朱雀大路が全然わからない。かつて、7、80年間のあいだ区画整理された都があって、その中心を南北に貫いていた目抜き通りが跡形もなくなくなっている。歩いて小一時間かかるであろう広さの都市が、かつてあったというのに。
 
その後もお寺さんは残っているのに、どうして都市だけ忽然と消えてしまったように思えるのか。
 
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ググって見たら、こんな便利な情報が出てきた。
 
■日本史。平城京について、教えてください。 - 平城京遷都1300年... - Yahoo!知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1145254451
 
平城京から平安京に遷都した際に元あった平城京はどうなったのです... - Yahoo!知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13101170393
 
大きな建造物は勿体無いので、バラして、新しい都に持っていってしまうので、跡地にはろくなもんが残らないのだそうだ。
 
西暦784年に長岡京、794年に京都に遷都したあとも人の動きはあったけれども、結局は主流に戻ることはなく、幕末に北浦定政というシュリーマンのような人が見つけてくれるまで眠り続けていたらしい。運が悪けりゃ、そのまま農耕地のままだったんだろう。
 
平城宮跡クイックガイド » 奈良平城京略年表
http://heijo-kyo.com/know/chronology/
 
平城京 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9F%8E%E4%BA%AC
 
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ひとつの都市、それも都≒首都が消えてしまうという、その辺の過程のようなものを物語仕立てにした本とかないのかな。海外との人や物の交通があり、国際都市であり宗教都市であり政治の中心であった計画都市が、桓武天皇の一声で更地になってしまう。その辺りの滅びの雰囲気を、長岡京遷都後の朱雀門解体工事を舞台にして表した『その後の寧楽』なんて書名で、どうよ。