四季一筆

徒然に。

弥生二十六日、日常に戻る

1200年あまりの時の隔たりを時速200キロで戻ってきた。とにかく東大寺はでかかった。
 
いや、「大きい」とか「でかい」では足りなくて、縦書きの「ドカーン!!」で、それも手書きの荒ぶる毛筆タッチで最後は二重感嘆符でないと。
 
その「ドカーン!!」が正倉院、南大門、中門、大仏殿と四発、天から落ちてきて立ち上がり見下ろしてくる、そんな普段は経験できない大きさと質量とに、驚いた。もしかしたら1200年前の人間も仏様も、本当に巨大だったんじゃないかと。
 
◇ ◇
 
興福寺にも回って、やはり五重塔と東金堂のボリュームに打ちのめされてしまった。阿修羅像を間近で見ることが出来たけど、よく見ると口元が右に上がっていて、右頬にいたずらっぽい微笑が見られたのは驚いた。教科書や写真では、あんなにはっきりとは感じられなかったもの。

中金堂再建の瓦の勧進してきました。
 
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今回の旅行で何よりびっくりなのは、二日間、奈良公園東大寺から春日大社にかけて歩き回って、日本語を殆ど耳にしなかったこと。中国からの団体客が多いのは当然としても、アジア圏、非アジア圏問わずの外国人観光客ばかりで、昼食に入った猿沢池そばのお好み焼き屋さんでは、わたしたち家族だけが日本人、あとの席は全て非アジア系の人達ばかり。
 
中国語の団体観光客は家族・親族的だけど、公園や街中を歩いている若いカップルもかなりの高濃度で中国語だったりして、ああ、これが国際観光都市というやつか、と。
 
ああそうか、エジプトのギザとかもこんな感覚なのかなぁ。もしかしたら東大寺の大仏を作っているときにも、日本全国だけでなく、中国から技術者や職人がたくさんやってきていて、こんな感じだったのかな、と。
 
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宿は県庁近くの小さめのホテルだったけど、旅館的な雰囲気がたっぷりで、また泊まりたいと思った。何より、奈良を一泊二日の小旅行で知ろうなんて、無理。身の程知らずでした。
 
また行きたいな。
 
平城京ペルシャ人の役人がいたことが判明。「破斯清通」ってどんな人?
https://www.huffingtonpost.jp/2016/10/05/nara-heijyou-kyu-persia_n_12349792.html