四季一筆

徒然に。

睦月十七日、阪神大震災から23年

当時の私の上司が大阪出張で、泊まっていた未明のホテルで揺れに遭った。私にとっての1995年というのは、時代の不連続線のようなもので、ここで別の世界が始まってしまった! と感じられる年だった。極私的だけど、たとえば次のようなことがある。
 


1月17日 - 阪神・淡路大震災
3月20日 - 地下鉄サリン事件発生。
5月23日 - Javaが発表される。
11月23日 - マイクロソフトWindows 95日本語版を発売。
 
Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/1995%E5%B9%B4
 
これらの出来事で、そこまでいくか? いくのか、そうなのか! と思い、ああ、そんなことが現実になるんだ、と強く感じた情緒的に私的な事件となった。
 
プログラミング言語Javaは、登場した当初は重たくて、どうにもそのもたついた動作が気に入らなくて触らなかったのだが、いまになって思えば、あー、あのときに習得しておけばよかった、という言語のひとつだ。いまじゃ、普遍的な存在となっている。マイクラAndroidも、こいつで出来ている。
 
【参考】
【初心者向け】これもJavaJavaで作れるものまとめてみた
https://eng-entrance.com/java_product_summary
 
Windows95は名作だと思う。あそこで Windowsの進化が止まっていたとしても、それはそれで幸せな世界だったろうと今でも思っている。
 
◇ ◇
 
ひとそれぞれには、何か契機になった年とか、意味深い年とかがあると思うけど、私にとって 1995年というのがそれで、その最初が、阪神淡路大震災だった。高速道路が倒れる、ビルが崩れる、同時多発の火災が発生して空を黒く塗りつぶす、それを朝のニュース番組が淡々と空撮映像として流しているのを、いつものように火曜日の朝を迎えながら「社会党分裂などふっとんでしまう事態」(当時の日記)なんて他人事のように思っていたらしい。
 
震度3や4の地震が普通に起きる K県で育った私にとって、地震とか避難訓練とかはありふれた日常の一コマに過ぎなくて、非現実的なテレビ画面の映像は、その“想定”の延長にしか思えなかった。けれども、ちょっと経って振り返ってみると、ああ、あの1月17日で歴史が変わったんだ、あそこがある種の“入口”だったんだ、と思えるのです。