四季一筆

徒然に。

卯月十四日、車を持たない理由

は簡単だ。運転して楽しくないからだ。これは一般論じゃなくて、あくまでもワタクシ的理由なんだけど、ここは個人のブログだから個人的理由で押し通す。
 
運転して楽しければ、車を持ちたいと思うし、そのための諸経費にお金がかかっても、楽しければ納得できる。趣味にお金をかける人は、もちろんコストパフォーマンスは考慮するにしても、お金がかかるから趣味を諦めるとかしないでしょ? でも、楽しくない趣味は趣味じゃなくて、そんなのやりたくないと思って当然だと思う。
 
私の場合、仕事で車を運転するのではなく余暇にしか利用しないから、「楽しい/楽しくない」の尺度で判断しちゃうわけだけど、たぶん、昨今の車離れのボリュームゾーンはその辺じゃないかな、と勝手に想像する。
 
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子どもが生まれて十年、テレビを見ない生活になってしまった。受信料だけはちゃんと払っているけど、消費している放送コンテンツはラジオくらいという状態なので、最近の自動車のCMがどんな具合なのか知らない。
 
むかしの話で恐縮だが、車のTVコマーシャルによく出てくるのは、どこまでも広がる原野に伸びる一本の道を、どこまでもどこまで“走り続ける”車だとか、一体ここは日本じゃなくて何処なんだ! と思われる海岸の崖の上のワインディングロードを、おそらく制限速度なんて無視した速度で“走り続ける”車だとか、きっと海岸の崖の上に建っていて、眩しく輝く白い柵の内側に広がる広大な庭には、手入れの行き届いた緑の芝生が広がり、いったい何人の大家族が住んでいるのかと思われるくらいたくさんの白い洗濯物が海風にハタハタとたなびいているであろう光景を予感させる家の玄関前に止まった車に、こぼれ落ちんばかり笑顔のせいで、見ているこちらも幸せいっぱいな気分になるような若い夫婦と子どもたちが乗ったバンが、光輝く緑の並木道を“走り続ける”だとか……
 
いったい、この東京のどこに、“走り続ける”場所なんてあるんだよ、と。
 
◇ ◇
 
田舎にあった大学のそばの自動車学校に通って免許を取り、最初の一年で2万キロちかくを走ったけれども、それは純粋に走るのが楽しかったからだ。まさしく“走り続ける”ことができた。
 
道は広く往復六車線だし、中心部から外れると広域農道がどこまで続いていて、山越えの道は適度にくねくねしていたし、空が広く、駐車場にも困らない。
 
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ところが、いま住んでいる場所には、まず信号機が多すぎる。郊外に出るまで、Y賀とかT島平とかの最寄りの高速道路の入口に到達するまでに、うんざりするほどの発進と停止、車線変更に「ありがとう」の合図と他車とのアイコンタクト、路肩をふらつく子供と自転車と高齢者に気をつけて、そうやってたどり着いた高速道路は工事渋滞だ、事故渋滞だ、Y和トンネルを先頭に26キロの渋滞だとか、帰り道はみんなして東京に戻ってくるから、往路を鏡に写したように見事に相似形の渋滞に巻き込まれることになる。「上り線、K仏トンネルを先頭に45キロの渋滞です」。
 
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しかも、都内では駐車場を探すのが面倒。同乗者を降ろして駐車場を探している間に、同乗者の用事が済んでしまいそうだ。これなら地下鉄とかタクシーを使うほうがずっとラク
 
一言でいって、「運転してもつまんない」のだ。だから車は要らない。
 
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同じことはオートバイでも同じで、東京から出るのに時間を使いすぎ、神経をすり減らしすぎる。駐車場問題は車よりもひどいかもしれない。だからこの十数年間、オートバイにも乗っていない。
 
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東京の人口が約1300万人、都区部が900万人、首都圏が3500万人。ざっくり言ってみれば、日本人の10人に一人が東京都民で、13人に一人が都区部に住んでいて、首都圏に住んでいるのは3.4人に一人。そういう人たちの少なからずが、「つまんない」と思っているとしたら、車、売れないよね。
 
制度を変えるとか、所得を増やすとかしても、つまらないことには、お金なんて使いたくないよ。