四季一筆

徒然に。

正月十一日、鏡開き

【鏡開き】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1%E9%96%8B%E3%81%8D
 
これまで正月の鏡餅は、杵でついて手でこねて扁平に丸めてふたつ一組にしたものを、近所のS和菓子店で部屋の数ぶんだけ買ってきていたのだが、今回は色々ゆとりがなくて、一夜飾りにならない時間的範囲でカミサンがえいやっとスーパーでひとつだけ買ってきた。そして驚いた。
 
最近の鏡餅って、外側が二段重ねの丸餅の形をしたのっぺら坊の雪だるまのような白いプラスティック容器で出来ていて、底のフィルムをはがすと、中から個包装の角餅が3つ出てくるんですねぇ。ほんと、びっくりした。個包装の中には脱酸素剤が付いてるし。
 
ご丁寧にも、プラスティック製の小さな模造ミカンとか御幣(ごへい)とか三宝(さんぽう)も一揃いついていて、一箱買ってくるだけで済んでしまう。「おい、ちょっと鏡餅、そこのスーパーで買ってこい」なんて万札を若いのにぽいっと渡して「え、社長、鏡餅って、どれ買えばいいんスか」「ばか、積んである金色の箱で一番でかいの買ってくりゃイイんだよ」「うぃーす」なんて会話でお正月が来てしまうくらい簡便なパッケージシステムになっている。ほんと、びっくり。
 
 ◇ ◇
 
子供の頃は、やっぱり裸の丸餅を酒屋さんとかで買ってきて(屠蘇散をおまけでくれた)、微妙にいびつなのでバランスを取りながらそっと積んで、その時には裏白(うらじろ)とか昆布とか干しイカとか半紙とか敷いて、三宝は毎年押し入れ天袋の奥から取り出していたと思う。いちばんてっぺんに載せるミカンの方が餅より大きくてバランスが悪かったりした。鏡餅を飾るのは、いつも父親だった。一家の主が年神様を迎えるというしきたり。三宝と、屠蘇器と、重箱。
 
けれども正月明けの頃には青カビが生えてしまっていて、餅自体も乾燥で盛大にひび割れしたりして。それでも青カビを削り落としたり、その後も水につけておいたりという光景を憶えている。
 
飾る数は変わらないけど、いつの間にかそれらはスーパーで売っている充填パック式のになって、それでも丸餅一個ずつは別々だったから、相変わらずバランスを取りながらそっと積み上げるというのは変わらなかった。が、やがて二段一体型の充填パックに変わってしまい、あげくは……。
 
結婚してからはカミサンのポリシーで、裸の丸餅を買ってきて積むというのに戻ったのは、子供時代から20年くらい経ってから。やっぱりバランスを取るのが難しくて、乾燥で微妙に大きさとか形が変化するのだろう、ときどき棚から転がり落ちていたりする。
 
餅の間にワサオーロのフィルムを挟んだり、プラズマ・クラスターを回したり、空気清浄機を動かしたり、掃除をしたりしていても、松の内が終わらないうちに餅には青カビが生えてしまって、乾燥のヒビ割れの激しさもあって、結局は食べないままに終わるという勿体なさではある。そうやって毎正月は裸の丸餅だったので、“金箱入り鏡餅システム”の進化については全く知らないまま暮らしていた。
 
 ◇ ◇
 
献立プリントによると、きょうの給食では鏡開きに合わせて餅が出たらしいというので、小学生の息子に訊いてみたら、「ん? 白玉団子にアンコが載ってたよ」だって。餅じゃないのか。
 
それよりも、ハチミツ・ジョアがめちゃくちゃ不味かったほうが重要だったらしい。