四季一筆

徒然に。

組成式、分子式、示性式

息子が昨夜寝る前1時間で、化学の小テスト「対策」をしていた。何のことはない。一夜漬けである。

学校の授業の配布プリントには「組成式」とあってX-Yマトリクス表で空欄が百個以上あり、縦軸・横軸に「○○イオン」のような正負イオンの部品が「水酸化物イオン」のような言葉で並んでいて、交点にあたる空欄に相当する物質の組成式を書け、と。で、息子は iPadでググって出てきた適当な勉強サイトの情報を空欄にオレンジペンで書き写していた。

今朝、大垣勘太くんのように「ん」といって見せてくるプリントのマス目には酢酸の式が書いてあって「これムズいんだよ」みたいなことを言う。それに対して「分子式もおぼえておけよ」と声掛けをして疑問に思って調べてみた。

息子が空欄にオレンジペンで書き込んだ酢酸の CH3COOH は「示性式」。ところで、分子を構成する原子について、原子の個数比を表す CH2O が組成式(1:2:1)、個数を表す C2H4O2分子式(2個、4個、2個)なんだそうだ。高校の化学なんて 40年前だから忘れてたよ。

で、息子は示性式を書き込んでいるわけ。表のタイトルには「組成式」とある。大丈夫なのか? この三つの違いについてネットで検索しようとしたけど、核心的な情報を引き当てるのに少し手間取った。

検索結果には塾・予備校関係のページが大量に出てくるけど、いずれも組成式分子式の違いを教科書的な文章で説明しているだけで、これを見れば一発で分かるというふうになっていない。実例を表であらわせば瞬間的に理解できると思うんだけど。私は「CH3COOH」という息子の手書きの示性式を見ているから、具体例から抽象化の方向に向かっての疑問を抱いている。

いっぽう、塾サイトは教科書的一般的説明から始まっている。この両者の間の分断のようなものをつないでいたのは、いわゆる勉強支援アプリのQ&Aページだった。きっと生徒の抱く疑問は私が抱いたような疑問に近いのだろうと思う。

ちなみに、息子は「示性式」を知らなかった。授業で教えていないのか、息子が聞き逃しているのか。組成式分子式、示性式の違いを教員自身がなおざりにしているのか。犯人の正体はどれだろうか。

あ~、ちなみにこの配布プリントの存在意義だけど、マス目の物質全てを暗記しろというのもあるけど、その土台としてのイオン結合の部品をきちんと頭に入れておきなさいよ、ということが主眼だと思うんだが、息子よ、君は気づいているのだろうか。

迷惑メール考

某通販サイトで買物する。以前は、お買い上げ確認とか、商品発送とか、お届け完了のお知らせがメールで来てたんだけど、ここ一週間くらいのあいだ来なくなった。使っているメールプロバイダが勝手に受信拒否しているとしか思えない。Twitterで検索したら同じ症状のひとが多数いるのがわかって、ああ、そういうことか、と何となく納得した。

メール送信者のメアドを連絡先一覧に登録しておけば通るよ、みたいなツイートがあったので、試しにやってみているところ。結果がどうなるか、次の買物までわからないけど。

 

ときどき、メールプロバイダの迷惑メールフィルタに引っかかって迷惑メールフォルダに仕分けられちゃった子たちを覗きに行くんだけど、何か、悲壮感というか必死さ加減が感じられて可哀相になる。頭の中がメスのことしかない若いオス猿のような感じで。こういうのは誰かが最初にひな形とかプログラムとか作っているんだろうけど、こんなもん作っている、もしくは作らされているエンジニアは本当に可哀相だな、て。

まあ、送信元メアドが *.ru とか *.cn とかダメダメなのは、トラップの設置者がまるきりダメダメな子たちがやっているから仕方ないとしても、メールの件名とか本文とかが稚拙で、なんか中二病ニオってくるなぁ、みたいなのは、ちゃんとした日本語に直してあげたくなる。文章の体裁とかも。

けど、このレベルで引っかかる一般ユーザが存在しているからこその需要と供給なんだろうから、数打ちゃ当たる、ってんで、やってんだろうな。

 

本来なら社会的な信頼のネットワークのようなもので不用心な人達を十分に受け止められる=引き止められていたから、無用な詐欺なんかには引っかからなかったんだろう。でも今では、摩擦ゼロになった情報通信技術で瞬時に、そして容易にそんな不用心な人達が絡めとられているんだなぁ、と思う。

信用社会というのは、とっくのむかしに消失しているのかも。便利になった対価として。いまは、20世紀の残滓のような商業的な「信用」とか権威的な「信頼」の欠片で、危うくバランスを保っているだけなのかも――そんな具合に思いたくなる。きっとこの社会の体裁は、間もなく限界に達するんじゃないか。信頼とか信用という前世紀までの価値のプラットフォームを無意味にする者たちが、限りなく低くなった障害や経費や戸惑いや良心を飛び越えて沢山わいて出てるんだから。

 

流れ着いて仕分けられた迷惑メールを眺めると、使ってもいないクレカや ETC契約やらを騙って、何とかクリックさせようとしているんだけど、そういうメールはソースを開いて送信者の情報とかルーティングとかを調べ、ああ、この国のこの町から来てるのね、なんて納得して、そっと閉じている。30日すれば自動で削除されるから、それまではそこで寝ていなさい。

ときには、攻撃者は新しい PCを買った方がいいよ、とか思うこともある。某国に侵入した兵隊の副業じゃないかと思われるメールは、Windows95から送信されてたよ。可哀相に。

 

こういうのは PCだから色々調べたりできるわけで、スマホとかタブレットしか使わない人だったらタップしちゃうかも。

 

謹賀新年 2023

本当は毎日でも書きたいわけですが、やっぱり元旦にしか書けないという、困ったもんです。4年目=4回目です。

あけましておめでとうございます。

 

2020年から本格的に始まった Covid-19キャンペーンも、4年目となってしまいました。去年は、某国が隣国に攻め込んで返り討ちにあって、双方ひどいことになっているし、なんだか地球規模でいろいろと不景気ですね。

 

この数年、特に新型ウイルス騒動が始まって以来、体や感覚の衰えのようなものを感じるようになりました。思ったように体が動かない。たとえば、何かを取り上げようとすると、そばにあるものや手前にあるものに指先が当たって倒したり落としたりする。朝めざめて起き上がるときに、体中がこわばっていて痛いとか。指先がとにかくカサカサに乾いているので、ヤマト糊の「ノンスリップ」という滑り止めの膏薬のようなやつが手放せないとか。

これは、実際に歳をとらないとわからないことです。どうして年寄はあ〜なんだ、だめだなぁ、とか、そういう若いころの感覚というのは、実は実体験として自分が歳をとらないと理解できないことなのが実感されます。その辺、双方ともにおあいこなんですけど。若い人の無理解は若いからだし、年寄のどんくささは年寄りだからだし。

同情とか共感というものは、実は感覚的なことではなくて、論理的なこと、つまり理屈なんじゃないかな、と。感覚的に実感するには、その歳にならないとだめなわけです。であるとすると、知識として学ぶ、そしてとりあえず「ああ、そうなのか」と思って、じゃあ、目の前の人は実際どうなんだろうか、て話を訊く。それは老若男女問わずにむかしから必要とされてきた姿勢なわけですけどね。

 

正月早々不景気な話ですが、私は、人間は認知コストを節約する、つまり経済的存在だと思ってますから、そんな傾聴の姿勢なんてものが主流になるとは思えない。だって、めんどくさいでしょ、正直。そもそも、そんなことが社会的に実現されていたら、傾聴の重要さなんてものを語る必要がないはず。それが道徳的に「大事なことだよね」みたく話されるというのは、つまり実現されてきていないし、おそらくは今後も実現されないだろうということなんでしょう。

歳とって得られたいいことに、「これまで〇〇だったから、今後も〇〇だよね」と確信を持てるということ。そうでなく、光に満ち溢れた希望の社会が実現できるのだとしたら、ぜひ頑張ってください。ただし、流行りの「エヴィデンス」としては、「これまでの数百年、数千年の間、課題とされ続けてきたにも関わらず、人類は本気で解決していない」ということがあるなら、それは今後も実現しない可能性が高いので、大変な努力が必要になるでしょう。

そういう前提条件が、歳をとると見えてくるわけです。そして同時にあちこち体が動かなくなる、頭もなんだかぼんやりしてくる。あー、課題の要点は見えたけど、こりゃ、だめだなぁ、とか思ってしまう。

つまり、これが若い人たちから見える「老人=保守」という景色なのかなぁ、と。

 

歳をとると色々とわかってくる、見えてくる、けれども体が動かない。若いと希望の光に惑わされて有り余る体力でそちらに疾走しようとするけど、足許が危うくてうまくいかない。そんな希望の光で金儲けしようなんて手合いが居たりすると、ますます目も当てられない。

なかなか難しいもんですね。どうしたもんでしょう。

まずは傾聴でしょうか。

 

ことしがあなたにとって良い年となりますように。

オレも頑張んなきゃ。

 

2023年元旦の長崎県東彼杵郡の夕日