四季一筆

徒然に。

水無月十三日、読む

 
本の雑誌 7月号』が到着。巻頭の個人書庫は夢枕獏氏。京極夏彦氏のような黒張りの地下要塞のような書庫もいいけど、夢枕氏の生成りの書棚もいい。ともかくわが家は収蔵量が最大の問題で、本を収納するために引っ越すか家を建てるかしないといけないのかなぁ、と漠然と考えている。
 
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本号も「★黒い昼食会」を、登場のA氏〜D氏の声音を変えながら読み上げる。読み上げの相手はカミサン。今号のタイトルは「ノーベル文学賞を返せ!」。カミサンは司書で一応業界人なので、こういう黒い事情についてのウケがいい。
 
まだ眺め始めたばかりの本号なのだが、「新刊めったくたガイド」の『軍艦探偵』(山本巧次)は面白そう。ミステリ好きのカミサンが食いついた。
 
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それにしても、あれもこれもと読みたい本が巷に溢れているというのに、人の財力も体力も収蔵量も、そして何よりも時間=寿命が限られていてすべての本が読めないというのは悲しいことだ。悲しいけれども、どうしてこうも本を読まねばならないのだろうか、とも思う。
 
実用書の類いは「知識を得るため」という理由があるけれども、例えば文芸書なんてどうよ。「自分とは違う生き方をしている主人公を通して……云々」なんて優等生的な答えは、大人には通用しない。中学受験まででよろしい。私のように半世紀も生きていると、いい加減あれこれわかってきてしまっているので、そんなカマトトめいた回答は遥か昔にどこかに置き忘れている。
 
ずばり、分類番号913を読む理由は何? 「たのしいから」? ならばスマホでゲームでもやるがよろしい。……ああ、やってるか。だから本の売れ行きが捗々しくないのか。
 
しかし、カミサンは本を読む。息子も「青い鳥」とか「つばさ」を中心にゴクゴクと飲むように読んでいる。なんでだろう。いや、そもそもなぜ私は本を読むのだろうか。
 
◇ ◇
 
たとえば『本の雑誌』の編集者連は相当の本読みのはずで、日常的に常に本を何冊か携行しつつ、食べつつ読み、移動しつつ読み、飲みながら、喋りながら、そして挙句の果ては“出しながら”読んでいるに違いない。
 
そんなに読んでどうする、て、それは本の紹介をするのが仕事だから立派に読書の理由を持っていることになる。うらやましいことだ。ちゃんとした正当な、社会的に認められた理由があって本を読んでいる。
 
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そうではなくて、仕事とも、生活の必需とも無関係な913.6なんて読んでどーするよ。本読みが仕事の本読み連の紹介した本を、仕事でも何でもない「一般読者」が読む。それら「本読み連の“読む”」と「一般読者の“読む”」とは、実は似て非なるものなんじゃないか、と思い始めている。だから、「読んでどうする」の質問の前提からして異なっているはずだ。
 
もしかして、「一般読者の“読む”」に対して理由なんて問うてはいけないのかもしれない。読むから読む。ただそれだけでいいじゃないか、と。
 
半世紀生きても、その辺がいまだにわからないのだ。読むから読む。なぜ読む。財力と体力と空間と命を削りつつ読むのは、なぜなのだろうか。