四季一筆

徒然に。

皐月二十八日、「算数ができる」とは

小学生の息子が塾に通いだして、一年以上になる。私自身、小学生のころの勉強なんて授業の様子も含めて殆ど忘れているのだけど、息子の勉強に付き合ってゆっくりとたどり直してみると、なかなか面白いもんだなと思う。そして悔しいとも思う。こういう勉強の内容を、自分が子どものころに知っていたら、きっと中学受験で嫌な思いをしなくても済んだだろうに、と。
 
でもそうなると、きっと別の人生を歩んでいたのだろうから、いま目の前で塾のテキストの問題をにらんで苦闘している息子は存在していないわけで、だとしたら、「自分の子どものころに知っていたら」なんて思いもしなかっただろうし、こんな文章を書くこともなかっただろう。
 
◇ ◇
 
一年以上、息子の勉強に付き合ってきての最大の発見は、算数にあった。
 
小学生の「算数ができる」というのは、問題文を読んで、
・図や表を描ける。
・(横)式を書ける。
ということだ。これに限る。
 
「(横)式」(よこしき)というのはウチの造語で、等号「=」をはさんで左辺と右辺がある式のことだ。息子は計算問題となると、すぐに筆算式を書きなぐり始めるので「まず横式を書け!」と。
 
「横式」を書いて展開していくと、それが途中式となる。「横式」は論理のチェックリストとして機能するのだ――と何度も言っているのだが、いまだに息子は実感できていないらしい。相変わらずいきなり筆算式を書き始める。それもノートのページ上で縦横無尽に書きなぐるから、あとで自分の論理を追跡できなくなるのだが、閑話休題
 
◇ ◇
 
「小学生の算数は暗記である」という意見もあるだろうけど、それは解法を暗記するということで、その解法の基本はあくまでも「図や表を描ける」であり「式を書ける」ということなんだと思う。最初にそれをやって解法の仕組みを理解できたら、解法の暗記だろうとなんだろうとやればいい。

それに問題文を読んで「図・表」「式」が書けるなら、解法を忘れても大丈夫だ。すぐに思い出せる。
 
まあ、6年生だと受験本番まで時間のゆとりがないから、もっぱら解法の暗記になるのだろうけど。
 
◇ ◇
 
そしてもうひとつわかったのは、算数の本質は「計算」ではないということ。この場合の「計算」とは「筆算」と置き換えてもいいかもしれない。
 
その「本質ではない計算」について五十路を過ぎて気づいたのは、
・小数、分数、割り算は、ひとつの数のいろいろな側面に過ぎない。
・だから、分数は「計算」を保留しておける便利なツールである。
ということ。ほんと、我ながら自分の胡乱さには呆れるわけだけど、ようやくこんな基本的なことを実感として知ることができた。人間、半世紀やってみて初めて知った事実。40年前に欲しかった認識である。
 
このことに気づけたのは、息子のおかげである。
 
◇ ◇
 
最近、私立中学受験で、算数一科目だけの入試が目につく。曰く、これからはAIに負けない人材となるには論理性が重要である。曰く、算数ができる子は、その後に他の科目も伸びる可能性が高い。
 
まあ、いろいろあるけど、私は息子に言っている。
 
算数(=数学)は宇宙の共通語なんだ。英語よりすごいんだ。算数ができればエイリアンと友達になれるぞ。世界を征服するには英語が必要だろうが、宇宙を征服するには算数だ。
 
◇ ◇
 
息子の塾通いのおかげで発見したことはまだ他にもあるんだけど、その話は明日にでもしよう。