四季一筆

徒然に。

皐月十六日、適当とテキトー

朝のラジオ番組で、「きょうのおたよりテーマは“テキトー”」だった。番組の始まりだけ聞いてあとは忙しくて聴けなかったけど、頭のどこかにずっと「適当」が残っていたので、書いてみる。
 
▼すっぴん!|NHKラジオ第1
http://www.nhk.or.jp/suppin/
 
◇ ◇
 
まず語釈から。
 

大辞林 第三版の解説
てきとう【適当】
 
( 名 ・形動 ) スル [文] ナリ
(1) ある状態・目的・要求などにぴったり合っていること。ふさわしいこと。また、そのさま。相当。 「 −な例」 「 −な分量を加える」 「君主政治なる者は殊に大国に−するの理を/民約論 徳」
 
(2) その場を何とかつくろう程度であること。いい加減なこと。また、そのさま。 「 −にはぐらかす」 「 −なことを言う」
 
〔類義の語に「妥当」があるが、「妥当」は物事の判断・やり方などに無理がなく、適切である意を表す。それに対して「適当」はその場の、またはあるべき状態・性質・条件などにぴったり合っている意を表す〕
 
(1)の「ぴったり」を良い「適当」、(2)の「いい加減な」を悪い「テキトー」とする。
 
「テキトー」で使われている「いい加減」だが、ほどほど、でたらめ、中途半端といった意味の言葉で、あまり良い言葉ではない。「でたらめ」は筋の通らないことをその場しのぎで言ったりやったりすることだ。
 
いっぽうの優等生君な「適当」は、ふさわしい、ぴったり、適度である。大辞林の語釈では「妥当」のほうがゆとりのある大人な対応っぽい感じだけど、まあ、そんな具合。
 
そして何よりも重要なのは、「適当」には要求される状態とか目的とかが設定されていて、それを必要十分に満たしているからこそ「適当」なのだ。
 
◇ ◇
 
さて、このように読んでみると「適当」と「テキトー」というのは、同じ言葉なのに正反対の意味が同時に含まれているんだなぁ、と思うわけだが、実はこれ、背中合わせに立っていて、一つの状況を表しているんだな、と思いついた。
 
◇ ◇
 
たとえば、私が息子に部屋の掃除をするようにいいつけたとする。もちろん、現実の息子はそんなことなんてやりゃぁしねーヤツだから、あくまでも仮定での話だ。
 
仮定の息子は、仏頂面で嫌々ながら部屋の床に掃除機をかける。四角い部屋を丸く吸って「掃除おわり!」と宣言する。そこに私がやってきて、部屋の隅に残っている綿ぼこりやら、脱いだまま散らばっている靴下やら、いったいいつからそこに放置されているのかわからない机の下にクシャクシャに丸めて転がっている給食用の使用済みランチマットだとか、そんなのを目にして一喝するわけだ。
 
「テキトーすぎ。やり直し!」
 
◇ ◇
 
ここでは、部屋の掃除としてある程度以上の清潔さが、私から息子に向けて期待されている。仕上がりの要求水準が私によって設定されているわけだ。それは一般的な「掃除をした状態」というものが暗黙に設定されていて、それが当然ながら息子にも共有されていると、私は思い込んでいる。
 
いっぽう、息子としてみれば、(A)「掃除をした状態」という暗黙の要求水準が理解できていないかもしれないし、要求水準を理解できていたとしても、(B)いま現在の自分にとっては「まちトム」を読むほうに自分の時間を使いたい、言い換えれば(B')掃除なんて優先順位の低いことに時間を使いたくないという考えがあっての「四角い部屋を丸く吸う」ということなのかもしれない。
 
(A)は単に日常生活での観察不足で、「掃除をした状態」というものがどういうものなのかを意識せず安穏と暮らしていたというだけのことなので、面倒くさいけど、手取り足取り掃除の基本を教えれば済む。
 
ここで問題なのは(B)、(B')だ。
 
◇ ◇
 
私は掃除をして部屋を綺麗にすることが「適当」だと思っている。だから不十分な掃除の結果に対して「テキトー」と判断する。
 
しかし、息子は本を読むことが今現在の「適当」だと思っている。だから、父親が不十分だと思っていても、自分の掃除の仕方は「テキトー」で構わないと判断する。
 
つまり、それぞれの要求する目的とか状態の齟齬が、適当という言葉の「適当」と「テキトー」の二面性の原因なんだろう、ということ。現象面の「テキトー」を支点にして、それぞれが「適当」とする目的が異なっている。
 
◇ ◇
 
じゃあ、目的を共有すればいいじゃないか、話せば解る――で済めば、きっとラクなんだろうけど、それが一番難しい。理屈で伝えられても、体験を情緒で理解するのとは別だから。適当って、テキトーに済まないんだね。